オリーブ設計 スタッフブログ

2020.12.02

建築で孝行

Naruki.M

昨年、私の父が亡くなりました。今日はその命日。この場にその話はどうかと考えましたが…私の本職=建築で親孝行できたことを記してみたいと思います。

当ブログにもしたためた一昨年の父の誕生日旅行は結果、父への最後の誕生日プレゼントとなってしまいました。
『BOSSの情熱日記 2018.12.24』

そこにも記しましたが、エンジニアだった父の晩年の趣味は、石炭と水で走る「小さな蒸気機関車」を自作すること。自宅の和室を「工房」に改装して、亡くなる間際まで思う存分に大好きだった趣味に没頭できたようです。

息子が贈った蒸気機関車の製作マニュアル本と、自宅に工房を造ろうというお節介な提案は、父が常々「人生を楽しいものに変えてくれた!」と語っていたようによき親孝行になりました。

さて、主を失った工房をどうしようか…? 父の作品である蒸気機関車、その前の趣味であるラジコンヘリコプターの行き場は…? そして夫婦仲がよかった母のために何かできないだろうか…? 建築士である息子の更なるお節介な提案は…


工房をギャラリーに改装!



ヘリコプターはもっと多くを作ったのですが、知人に譲ったようです。これを飛ばすには操縦のバランス感覚が難しく、自宅のガレージで練習していた父を思い出します。そしてヘリコプターを墜落させては父も落ち込んで…修理してまた飛ばしている…延々その繰り返しでした(笑)



そして自作の蒸気機関車、1号機。ちゃんと、石炭と水で蒸気を発生させ、煙を吐きながら走るのですよ!


部品のひとつ、ひとつをすべて手作りで! 分厚いマニュアル本と格闘していた父を思い出します。手垢がついてボロボロになったその本は天国へ持っていってもらいました。


この2号機はさらに力持ちで、つないだ貨車に多くの子供たちを乗せて走りました。


三重県の田舎の中学校を卒業して以来60年、鉄工業ひと筋で生きてきた父の技術の結晶。この蒸気機関車がその集大成になりました。

私が父と交わした最後の会話は「機関車が調子悪いから、運転会に行くのを延期するわ~」と亡くなる数週間前の電話でした。ひょっとしたら調子が悪かったのは父のほうかも。


さてこの扉、何をデザインしたか分かりますか?

実は2枚の扉それぞれの格子に「幸」の文字をデザイン化したのです。幸を合わせて、母のしあわせを願ったデザイナーである私の妻からの贈り物です。

そしてその1ヵ月後、ギャラリーは…

両サイドのショーケースには、母の思い出の品がぎっしり! 父と方々を旅行した数々の思い出の品や、どこかの景品まで(笑) この空間が夫を失った寂しい気持ちを埋めることができていると母。



そして、この並んでいないスペースはこれからの旅で埋めていくそう。母にとって人生の旅はまだまだ続きます。

ささやかな8帖のひと間が、父の人生を豊かなものにでき、今度は母にとっても大切な思い出と希望の空間にできたことは、建築の持つ力であり、建築士にならせてもらった息子からの恩返し。

私も親になり「その有り難さ」、そして娘が成長して近づかなくなり、親として「一抹の寂しさ」を身を持って分かるようになりました。それに気づいた私は、父が亡くなる晩年でしたが寄り添うことができました。


父が会員だった倶楽部の運転会で。


これが父との最後の写真になりました。父が用意したお揃いのつなぎ服を着たのは、この日だけになってしまいましたが…1日でも着ることができて本当によかった!

息子が生まれて50年経っても、一緒に遊べた父は幸せだったと母から聞きました。

合掌