オリーブ設計 スタッフブログ

2016.03.24

恩師の引退(小学校編)

Naruki.M

春の卒業シーズンを迎え、私にとってかけがえのない恩師が引退を迎えました。本日は小学校編です。

私が小学5、6年生の時の担任であり、児童会、野球少年団でもお世話になった麦島先生の『2回目』の現役引退です。先生は教頭や校長になりませんでしたが、定年後も自ら希望され、手助けが必要な生徒の特別支援学級に携わり、最後まで生徒とふれあうことを大切にされました。

そしてこの春、ご退職をされたのです。先生の労をねぎらいたくご自宅に電話をかけさせていただくと送別会でご不在。奥さまに私の苗字を名乗るとフルネームを覚えていて下さり、しばし会話ができました。35年前の長男様のご出産の時以来です。

コーチャン、イマケン、ヒッサン、ノンチ、友達で作戦を練って、先生にはナイショでご出産のお祝いにおしかけた時のこと。こづかいを出し合いお祝い品としてオムツ、ベビー用品を買い揃え先生の家に向かった。(もっと粋な贈り物はなかったのか?・笑)

あいにく先生はご不在。奥さまが入院されている産婦人科を知りたい。手当たりしだいに近所の方々に聞きまくったら病院名は覚えていないが『あっちのほうだよ』と教えてくれた。ご近所どうしがアットホームな時代でした。

自転車と電車を乗り継いでその方向に向かう。すでに地理オタクだった私のヤマカンが急にうずき、予定より手前の小さな駅でみんなを降ろした。急に下車させたものだから、友達の口から5/8チップが吹き出たのを覚えている。

集落のほうへ歩いてみると…小さな産婦人科病院があるではないか!なんとそこには、先生の派手な緑色の愛車があるではないか!

(弊社の愛車と同色なのは偶然だろうか・汗)

赤ちゃんの顔は覚えていませんが、初めてお会いした奥さまがとても美人だったことは覚えています(子供心に先生を尊敬した)。そして私たちは先生の愛車にスシ詰めに乗り、先生の家に着いて、狭いお風呂にスシ詰めに入ったことも懐かしい思い出です。

そぅそぅ、先生の長男様の名前「寛和」さん。クラスメートの「寛子」と「和代」をエコヒイキしてるって女子が泣き出し論争になったっけ。男子はあきれていたけれど、今思えば先生がモテていたエピソードかもしれません(笑)

私が小学校を卒業後は音信不通でしたが、高校に合格したとき、麦島先生は新聞で名前を探し出して電話をくださいました(当時は新聞に合格者が載りました)。以前のブログでもしたためましたが…私が小学生当時に受けた先生からの愛情は大人になってからわかることが多くあります。

そして麦島先生の長男様も教師になりました。ご家庭でもよき先生だった証かと思います。先生の肩書きは「記録」に残らなかったけれど、私の『記憶』に残る素晴らしい先生でした!!私も建築士としてそんな存在でありたい…